最近まじめに友人たちとボードゲーム作ってみようって話をしてるんですよ。
僕もまだ2つほどしか浮かんでいませんが、こんなのどうかなと案を投げています。
そこで思ったのが、カタチにすることの難しさ。
みんなよく面白いゲームを作れるな・・・とほんとに感心してます。
クソゲーwwwwwとか思ってた「テストプレイなんてしてないよ」ですら、ほんとはテストプレイやってるだろと思うくらいです。
いやまあ、クソゲーでいいなら簡単に作れますけど、作るからにはできる限りいいもの作りたいじゃないですか。
で、そこで思ったこと。
「プロの人たちの考えを知れば、少しは作るときの参考になるんじゃないか?」
てなわけで、こちらを読んでみてます。
「桜井政博のゲームについて思うこと」
桜井さんはボードゲームではなくTVゲームの人なので、ちょっとどうかなと思ったんですけど、ゲーム制作をしたい人にはタメになるということで、ボードゲームにも活かされるだろうと期待して購入しました。
本の内容ですが、具体的な手法が書かれているHowTo本ではありませんでした。
作っていてこういうことを思うようになったという、考えや心構えを語った哲学書みたいなもんです。
ただボードゲームにも通じそうだなと思うところがあったので、また読んでて普通に面白い本だったので、桜井さんの意見に対して自分なりに考えを入れつつ紹介してみようと思います。
目次
勝っても負けても笑って次に進める
これボードゲームでは特に大切な話だなと思いました。
例にはスマブラを挙げていますが、対戦ゲームである以上勝ち負けが発生するのは当然です。
競技チックなゲームでガチンコの対決!ってのも、今はやりのeスポーツ的で確かに僕もいいと思います。
でも、どちらかと言えば、僕はみんなで楽しめるゲームが好きです。
ボードゲームではさらにその傾向が強い。
MTGというカードゲームにハマっていた時も、ガチガチの大会に出るより、みんなでわいわいカジュアルにプレイする方が好きでした。
自分がボードゲームを作ろうとした場合、こういうゲームを目指すようにデザインしていく必要があるんだなと確認させられました。
シンプルに徹する
贅肉をそぎ落とすこと、これが大切で難しいというのはよく聞きますね。
本では「メイドインワリオ」の”ぬらすな!”を例に挙げてます。
・このゲームでは、画面上に人がいて、雨が降っており、空中には傘が浮かんでいます。
・プレイヤーは、その人をぬらさないようにゴールまで傘を操作します
という単純なゲームです。
どうです?やったことない人でも大体イメージわきませんか?
このシンプルがいいというのは、なんとなく自分でも理由がわかる気がします。
ゲームというのは、ルールを理解したうえで自分の頭や体を使って、どれだけ自分なりの工夫ができるかってところが面白いと思っています。
そこがいわゆるプレイヤーの腕というやつで、他人と差がつくところですよね。
そうやって工夫した結果、勝ったり負けたりするから面白く思えるわけです。
そうなるとルールをすぐに理解できて、自分なりの方法を考えるフェーズに移行できる、シンプルなシステムがいいというのは当然なのかなと思うわけです。
またルールが複雑で細かく設定されていると、自分なりの腕を出すところが少なくなるのもあるのかなと思いました。
運に特化したゲームや、一緒に遊ぶ人によって面白いと思えるパーティーゲームは、また別のベクトルな気もするので一概にこうとも言えないとも思います。
ただ例外はあったとしても、基本はルールをシンプルにできないかを考えるのは大切だと思います。
(後の項で出てきた言葉に「シンプルだけど単純ではなく」というのがありました。たしかに単純さとシンプルさは別物ですね)
完成度を高めるためにためらいをもつな
これはゲームを作るという話だけでなく、仕事全般の話でした。
少しでも多く頑張れば、それだけ多くのお客さんが嬉しさを感じる可能性は高くなるから、みんな頑張ろうというお話。
理屈はわかるんですけど、それで残業量を増やしていいってわけではないでもないと思います。
ここは自分なりに解釈すれば、プライベートの時間でも、こうやったら面白くなるんじゃないか?と考え続けるのが大切だというお話かなと思いました。
フリーランスの方なんかによくある考え方ですよね、これ。
そのアイデアを試し続けて、仕事時間が多くなってしまうのなら、何かを犠牲にするか、無駄を排除していくよう考える必要があるのかなと。
何かを作るのならこういう心構えは常に必要だと思います。
僕もこのブログを書くとき、「どうやったら少しでも読んだ人が有意義だった、おもしろかったと思ってくれるか」は常に考えてます。
今のところあまり伝わってないかもだし、まだまだ努力は足りてないと思うけど、そういう気でいないと面白くなんてできないからね。
操作感のふしぎ
これめっちゃ面白い話、人間は感覚というものにどれだけ振り回されているかということがよくわかります。
例えば画面上を1秒間に2マス歩けるキャラがいたとします。
で、もしその倍の4マス動けるキャラがいたとしたら、コントローラーの重さは変わってないのに軽く感じられるはずです。
逆に1マスしか動かせないキャラがいたら、感覚的にコントローラーは重く感じるでしょう。
例ではスマブラDXのキャプテンファルコンとガノンドロフを挙げています、やったことある方ならなんとなく理解できるかと思います。
キャラクターの操作感に対応して、なぜか自分のコントローラーのボタンの重さが明らかに異なるように感じませんか?という話です。
アクションゲーム、レースゲーム、果てはRPGのダッシュの有無なんかでも、ことごとくこれを感じてきました。
これに関連した話ですが、見た目と実際の操作感が違う場合は、この感覚がさらに加速すると思っています。
重そうに見えるキャラが軽い時も違和感ありますし、逆に軽そうに見えるキャラが重いとそれだけでげんなりしますよね。
ここでじゃあボードゲームで考えるとどうなのかと言われれば、コントローラーはなんてものはないので、この話がまんま当てはまるかというと微妙です。
ただ自分の今まで蓄えた知識と、ゲーム内での効果が感覚的に合っていないと違和感を感じる、というのは覚えておいた方がいいなと思いました。
一見お約束のように思えるところの見直しをして、時代とゲームの目的に合った仕様、操作感にする作業が重要という言葉も覚えておきたいところです。
ムービーは優位となるようなものがあれば入れていい
今ではゲームにムービーが入るのも当たり前になりましたが、今でもこれに関しては賛否両論あると思います。
この見出しだとムービーに限ってますが、実際には他のものにもイベントにも同じことが言えます。
例えばRPGでは街で情報を集めるためにNPCと会話をすることはよくありますよね。
有益な情報を得られるならばと思って、プレイヤーは会話という行動に時間を費やすわけですね。
でも、これが10~20人程度ならまだしも、100人単位でNPCがいたとしたらどうでしょう。
絶対多すぎて無視されると思います。
この手の話は、つまるところバランスの問題なんだろうと思います。
ゲームの目的に沿ったものであり、多少プレイヤーの妨げになったとしても、その要素を入れることでゲームに深みを持たせられるのなら、入れてもいいんじゃないか?という意見でした。
これは僕も賛成です。
遊んできた側の人間として重要なのは、「面白いと思えたかどうか」の一点だけですからね。
ゲームが持つ遊びや独自性はすぐに伝わらないことが多い
これもいい話。
「新しい体験をしてもらうために、オリジナリティを入れることを心がけてはいるが、結局既存のものに頼る必要があるのも事実」とのこと。
桜井さんの意図はちょっとわかりませんでしたが、これ自体は悪いことでもないなと思いました。
RPGの序盤に似たようなお使いイベントがあったりしますし、格闘ゲームの大まかなシステムってなんとなく似ていたりしますけど、だからプレイヤーが安心するところもあるからです。
とっつきやすさと面白さは別物だろうと思います。
既知のものを大幅に取り入れれば、それだけプレイヤーはなじみやすくなりますが、新鮮さは失われます。
そういった既知の部分を取り入れつつ、自分たちだけの要素をどこで出すかが問題なんだろうなと思いました。
日本語は難しい
どんな人を対象にしているかで言葉が変わってしまうという話。
本ではゲームの仕様を、どういった言葉で説明するのがいいのか、考える必要があるというお話でした。
この話はブログにも通じるので、噛みしめるように読みました。
このブログで自分の口調が不安定なのは、想定読者がどこなのかを自分が想定できていないからだろうと思ってます。
それに加えて距離感もあるんです。
親しみを持たそうと砕けた口調にしようとしても、砕けすぎると逆になれなれしいと思われるでしょう。
だからと言って丁寧な口調にすると、距離を感じてしまうことでしょうし。
ボードゲームにおいては説明書やルールブックでこの問題は出てきますね。
これは常日頃から全力で気を配らないといけない話だと思いました。
一点突破型がいいのかどうか
ゲームにおける一点突破型の話です。
本ではICOってゲームの話を例に挙げてます、あのゲーム「好きな人はとことん好き、雰囲気ゲー最高峰」ってよく聞きますね。
ただそれゆえ人を選ぶというのもよく聞きます。
対してカービィは、いわゆるライト層も遊ぶゲーム、万人受けするもの。
桜井さんはこれに対して「人の嗜好はもっと専門的に、ジャンルなどに特化されたものになったと思います。その多くの嗜好に少しでも広く応えたいがために、いろいろな要素を潜ませようとするのです。」と仰られてます。
つまるところ、少数の好きを濃く突き詰めたものではなく、多数の好きを散りばめたものがカービィやスマブラだというのです。
これはどちらが優れているかという話ではなく、どちらも等しく価値があると言いたいんでしょう。
ボードゲームで考えた場合でもわかる気がします。
かつて自分がそうでしたが、例えばTCGにおいて「そのカードのイラストが好きだから買う」ってことがたまに発生するんです。
TCGというものは対戦相手と戦って勝つことが目的なんだから、カードとして弱かったら本来起こりえない話です。
でもイラストにも労力を投入すると、そういったことも起こりうるんですよね。
それはそれだけ、そのTCGを楽しむ余地が多いことを示していると思ってます。
投入できる力を、自分の本当に好きな部分に全力で注ぐか、いろんなところに散りばめて投入するかは人それぞれってことなんでしょう。
(それでも根本となるところで守るべきところは、とことんこだわるとも仰ってます。)
好き勝手したい
現代人、特に時間が少ない社会人にはおっくうさを感じることが少なくないですよね。
早く自由にプレイしたいのに、ゲームに制限されてしまっている。
ルールを覚えるまで好きにやれない。
チュートリアルなんかもこの煩わしさを感じるわけです。
ちょっと前に発売された「星のカービィ スターアライズ」で、少しめんどくささを感じたのはこれかもしれないなと感じました。
自由さが少々足りないように感じるんです、あのゲーム。
特定の能力を組み合わせないと解けないパズルのようなものがあったり、4人以内と進めないところがあったり。
アクションゲームにおいて、特定の能力が必要な、持ち物検査のようなシステムは、僕はあんまり好きじゃないんだなと感じました。
ボードゲームに取り入れるなら、初期地点と最終目的だけ明確にしてあげて、その間をすべて自由にしてあげるシステムがいいのかなとぼんやり思いました。
だからと言ってそれでゲームまで面白くなくなるなら、それはやるべきではないんでしょうが。
既存のジャンルを自分の観点で作り直す
カービィのエアライドは、桜井さんが自分なりの観点でレースゲームを作ろうと思ったことがきっかけだった、という話です。
なにか全く新しいものを作る必要はないということ。
初心者でも楽しめるものをと考えた結果、出来上がったモノだそうです。
色んな遊び方を楽しめる自由さ。
アドリブを許せるゆるさを求めることが、桜井さんの中に常にあるものっぽいですね。
ブログでもそうだと思いますが、自分が好きなものについて文章を書く、他の人と同じものをブログで取り上げても、絶対まったく同じ感想にはなりません。
すでにいくつも意見があるしなって思っても、自分なりの方法で伝えるのには意味があるのかなと思わせてくれます。
これはボードゲームでもそうで、例えば人狼をもとに色んな亜種と呼べるゲームが作られてます。
前に僕もプレイしたワンナイト人狼もそうですね。
あれは多分人数が少なかったり、序盤で脱落してしまった人がそのあと暇を持て余すことになるという、人狼の不満点を改善しようとして出来たんじゃないかなと推測されます(あくまで推測です、「ちゃうぞ、ほんとはこうやぞ」ってご存知の方はぜひ教えてください!)
結果としてワンナイト人狼は、同じようなシステムでも、さくっと遊べる別の面白いゲームとして出来上がってますよね。
既にあるジャンルでも、自分なりにこうやったら面白くなるんじゃないかと工夫して作り直すことは意味があるという話でした。
まとめ
長いな?
実はこれでもまだ本の内容としては3割程度しか進んでません。
ゲームの話となるとついね・・・
この本は最初にも言った通りTVゲームを作った桜井さんの本ですが、やはりボードゲームでも応用できそうなとことは多くありますね。
どんどん自分の中に吸収して、面白いゲームをガンガン考えたいと思います!
それではまた次回!