カードゲームMTGの開発の教訓がめっちゃ面白いので私的メモを兼ねて紹介する【前編】

以前にもお話したんですけど、最近マジメにボードゲームを作ってみようという話を仲間としています。

日々の生活での閃きから考えたり、急に頭に降ってきたキーワードをテキトーに形にしてみたり。

まあ完全に趣味レベルで作ってみてるんですが、これが意外に「面白いかも!」と思えるゲームも出来たりしまして。

自分たちでも面白いと思えるゲームを作れるんだなという事実に、日々興奮しています。

ただ細部や市販のゲームに比べると、当然まだまだなわけで。

より面白いゲームを作るために、考えるだけじゃなくて知識もつけていこうと勉強中です。

そんなわけで、最近ではいろいろと開発の話を読み漁って足りするわけなんですが、その中でも凄くいいなと思った記事がありまして。

それがカードゲームの元祖「Magic The Gathering」のデザイナーとして20年かかわったマーク・ローズウォーター(Mark Rosewater)氏が、制作するにあたって気づいた「20の年、20の教訓」という記事。

この話が単純に読んでて面白いということと、自分たちで作るのにタメになりそうだということで、今回はその記事から特にこれは!と思った教訓を私的メモを兼ねてお伝えしようかと思います。

全て一気に紹介しようと思ったけど、長くなりそうだったので前編後編にわかることにしました。

人間の本性に逆らうのは、勝ち目のない戦いである

これは覚えておくべきだと思った。

どういうことかというと、AとBという2つの選択があったとします。

その2つの選択が「ゲームデザイン的にはAとしないとおかしいんだけど、人間の直感的にはBと判断するだろう」というものだった場合、ゲームのルールを曲げてでもBとしないとプレイヤーに良しとしてもらえないということらしいです。

これはFC版のFF2「アルテマの本」なんかも、これに逆らって大ひんしゅくを買った一例な気がする。

詳しくはここあたりを見てもらえればわかるけど、究極魔法という触れ込みがあり、仲間1人の命が犠牲になり、苦労して手に入れたアイテムが微妙極まるアイテムだったというもの。

「誰が使っても一定のダメージを与えられるという意味で究極」「古代のモノを今の目で見たら劣ってるのは当然」とか色々な弁明があるみたいだけど、人間の本能的に苦労したらその報酬は欲しいのが当たり前。

プレイヤーをゲームに合わせて変えるべきではなく、ゲームをプレイヤーに合わせて変えるべきなのだ

抱き合わせを活用せよ

抱き合わせとは、「既存の知識を使ってゲームの情報を先に与えることで理解を早める」という意味の術語である

記事では「トロイの木馬」伝説から着想を得て、それをゲーム上で表現した「アクロスの木馬」というカードを具体例に挙げてくれている。

「アクロスの木馬」ならプレイヤーは喜んだが、さらに改造して「アクロスのライオン」にしたところ、プレイヤーは元ネタがわからなくなって不満が続出したという話。

プレイヤーが身に着けている教養や、言葉が持つイメージなどをうまくゲーム内に取り込んでやると、プレイヤーの理解が早まってゲームにハマりやすくなるということらしい。

これはRPGでも取り入れられてる話だと思う。

記事の具体例には「飛行」という能力について語られてるけど、RPGでも火の属性が水の属性に弱いとか、盗賊というキャラは素早くて戦士というキャラは遅くてタフ、みたいなね。

「興味深い」と「面白い」を混同してはならない

一般論として、我々人間は自分たちのことを知的生命体だと考えがちであるということだ。しかし、興味深いことに、科学者が我々の決定について研究したところ、判断は事実に基づいたものではなかった。人間は、思考よりも感情に基づいて判断することのほうがずっと多いのだ。

人間は思考で判断することもできるし、感情で判断することもできる。

何かを作る際、受け手に理論的に訴えることも感情的に訴えることもできるけど、大体感情レベルで訴えてやった方が満足してくれることが多いよって教訓。

これって実は何でもそうだよね。

何か物を売るときも感情に訴えるべきって話はよく聞くし、さっきのFF2の話も理論的にはあってても感情的には理解できないモノと考えるとこれに当てはまる。

「人間の本性に逆らうのは~」の教訓に近いけど、これも覚えておくべきだなと思った。

ゲームで生み出したい感情を理解せよ

ゲームに何を含めるべきかを知るためには、何を表したいのかを理解しなければならない。常に「このゲームの選択がプレイヤーの体験にどのような影響を与えるだろうか」と自問自答しなければならない。つまり、全体としての体験に寄与していない要素があるなら、それを取り除かなければならないのだ。

名言が多すぎて抜粋が多くなりすぎてる気がするけど、これまた深い話。

いま僕は「めんどくさいお誘いを断るゲーム」を考えてるけど、これで僕が表現して共有したいのは、めんどくさい誘いを断るときの心情と人の行動。

そういったものを面白おかしく表現したいと思ってます。

まずはプレイヤーにどういう体験をさせたいのかを考える必要がある。

で、そこを目指してゲームを作っていくけど、その過程で「面白い発想だけど、ゲーム全体としては違う方向を向いてるアイデア」みたいなのが出てくるかもしれない。

そうすると、それがどれだけ素晴らしくても邪魔になるから、切り捨てないといけないよって教訓でした。

プレイヤーが、ゲームを自分のものだと思うようにせよ

脳は、知っているということを品質と関連付け、知っているもののほうが良いものだと考えるのだ。認識していることと重要性とが関連付けられ、知識は質とイコールで結ばれるのだ。
ゲームデザインにおいて、これは、プレイヤーにそのゲームへの個人的なつながりを持たせることが重要だということになる。
そのためにどうすべきかというと、プレイヤーに多くの選択肢を与えるのだ。

ヒットしているゲームには、これが多いんじゃないかと思う。

例えばポケモン、当然強いポケモンを使う競技的なゲーマーもいるだろうけど、自分のお気に入りのポケモンだけで組んだパーティーだったり、属性を統一するなんて遊び方もできる。

数年前に流行った艦これや、アイドルマスター、モンハンあたりもこの要素は高いと思う。

逆に選択肢を与えられないと、人は面白いと思えないんだろう。

娯楽を提供するのであって遊び場を提供するのではないから、自由度がありすぎるのも問題だけど、自由度がなさすぎるとそれはそれで娯楽としてつまんなくなる。

MTGではたびたび選択肢を狭めるからという理由で禁止カード指定が起きるけど、多分そういうことなんだろう。

プレイヤーが掘り下げる余地を残せ

ゲームデザインにおいて、これは、プレイヤーに知らせたいものすべてを見せるべきではなく、彼らに見つける余地を与えるべきだということになる。プレイヤーに選択肢、細部、カスタマイズを認め、さらに発見の余地を与えるのだ。自分で見つけたものには、それだけ集中するものだからである

自分だけが知っている面白い情報、いい場所みたいなのは最高に優越感あるよね?つまりそういうこと。

さっきの選択肢の話に近いかなって感じた。

全部の情報が伝えられると、必然的にプレイヤーの選択は最善のもの一択となるから選択肢の幅が狭まるし、自由度が低いから当然ゲームとのつながりやゲームの所有感なんかを感じにくくなる。

そうなると退屈でつまらないものだって思うようになるよね。

ルールはしっかりと伝えるべきだけど、「これとこれを組み合わせたら、こんな面白いことが起きるんだ!」っていう発見をさせるために、あえて必要以上の情報を与えるべきではないというお話。

まとめ

名言しかなくて全部紹介しようと思ったくらい、勉強になる話ばかりです。

いくつかカットした教訓もあったけど、それらも読むとなるほどなあと感心させられます。

全部読んで見て欲しいところですが、元の記事は多少MTGの知識がないとわかりづらい話もあるのが難点ですね。

ただ普遍的な法則と言えるものが多くて読んでて普通にタメになるので、興味があるならぜひ読んで見て欲しいですね。

後編へ続く。

引用させていただいた、「20の年、20の教訓」はこちら