カードゲームMTGの開発の教訓がめっちゃ面白いので私的メモを兼ねて紹介する【後編】

昨日の続き、MTGの開発の教訓私的メモ後編。

前編でなんとなくわかったと思いますが、ゲーム、それもアナログゲームの制作から得た教訓だそうですが、色んなシーンで応用できる教訓ばかりです。

MTGを知っていると理解は深まりますが、MTGを知らなくても面白いと感じられるだろうと思います。

そのゲームを誰もが気に入っていても誰も惚れ込んでいなければ、失敗することになる

 プレイヤーが何かを嫌うことを恐れてはならない。誰も何にも惚れ込まないことのほうを恐れるべきなのだ。強い反応を呼び起こすものは、様々な方向の強い反応を呼び起こすことが多く、つまり誰かが惚れ込むようなものを作ろうとすれば誰かはそれを嫌うことになるのだ。

アンチが多いのは人気のある証拠、みたいな理論だけど、圧倒的に正しい。

これはまあよく目にする話、誰かに嫌われない努力より、誰かに好かれる努力をしよう。

それで嫌われたら仕方ない、好いてくれる人を大切にしよう、みたいな。

誰かの好きは誰かの嫌いじゃないけど、誰に聞いても「まあいいんじゃない」ってものほどつまんないモノもないしね。

ゲーム作りだけじゃなくて、何かを作るときすべてで当てはまるだろう教訓。

楽しい部分が勝利のための正しい戦略になるようにせよ

楽しいことを隠してプレイヤーがそれを探すようにしてはならない。楽しいことを探すのはプレイヤーの仕事ではないのだ。プレイヤーを楽しみへと導くのが、ゲームデザイナーの仕事なのである。

「この部分は楽しいよね」「この部分は面白いよね」とプレイヤーが考えてる時点で、そのゲームはアウトってこと。

前に紹介した桜井さんの意見と真向にぶつかってるけど、僕はどちらかと言えばこっちよりの考え。

ゲームに関しては自分が面白いと思えるかどうかが全てだと思ってるので、いくらここはいいよねと擁護したところで、全体で面白いと思えなければそのままプレイすることはない。

何も考えず、夢中になれるくらい面白いゲームを目指すべき。

単刀直入を恐れるな

時折、受け手に何かを理解させるために、単刀直入にする必要があることもあるのだ。受け手自身に見つけさせるようにすることが素晴らしい効果を持つ場合も多いのだが、それが常にうまくいくとは限らないことは認識する必要がある。

伝えたいものが伝わらないとき、絶対に伝えられるように単刀直入に表現することも必要だというお話。

前回、情報を与えすぎない、プレイヤー自身に探させることも大切って話もあった。

ただ、制作者サイドが伝えたいことをきっちり伝えるために、わかりやすく簡潔に伝えることも時には大切ということ。

伝えたくない、伝える必要がないものと、絶対伝えなければいけないものの差を意識することが重要そう。

要素はその対象とする受け手のためにデザインせよ

 何かを作るとき、可能な限り広い受け手を満足させたいという欲求はあるものだが、それはマクロレベルであってミクロレベルではない。可能なかぎり多くのプレイヤーを満足させる方法とは、そのゲームにどのようなプレイヤーがいるかを理解し、そしてその各種のプレイヤーに向けた要素を作ることだ。

これまたどんな世界でも通用しそうな教訓。

自分の作っているゲームを好んでくれる多数いたとして、その全員が同じ部分を気に入っているとは限らない。

プレイヤーごとにどんな要素を気に入っているのかを把握して、プレイヤーごとに気に入るであろうカードをデザインしてやんないと意味ないよって話。

つまるところマーケティングの話だよね、これは。

自分たちにどんなことを客が望んでいるか、要望を大まかにわけて、その大別されたグループごとに満足できるような策をとっていく。

これから生きていく中で色んな所で使えそうな教訓。

プレイヤーに挑むことよりもプレイヤーを飽きさせることを恐れよ

プレイヤーに挑むことは恐れるべきことではない。もっとも恐れるべきリスクは、リスクを取らないことなのである。

リスク取っていこうねって話。

挑戦しない人間ほどつまんないやつはいない、みたいなことが書いてある。

クリエイターとしてつまんないって致命的。

人間としてつまんない奴が、面白いものを作れるのか?ってことでもありそう。

失敗してもいいから新しい何かを提示しないと、プレイヤーの心は離れる。

失敗することを恐れて変化できず、前にした失敗と同じような結果を出してしまえばお終いとなる。

すべてを変えるために大きく変える必要はない

「どれだけ多く追加する必要があるか」ではなく、「どれだけ少なく追加する必要があるか」を考えるのだ。この視点の変更が重要なのは、ゲームデザイナーにとって(芸術家にとってでも良い)の目標は、ゲームから取り除けるものがなくなるまで可能な限りあらゆるものを取り除くことだからである。そうすれば、そのゲームに残るのは必要な要素だけになる。

これはめちゃくちゃ共感した。

こういう話をすると懐古厨のおじだと見られそうで嫌なんだけど、昔のゲームが今やっても面白いと思える要素の1つってこれなんじゃないの?って思うんだよな。

次の教訓「制限は創造の母」にもつながるけど、ほんとに限られた容量で何かを表現しようとすれば、まず間違いなく絶対に必要な要素から入れて行くと思うんだよ。

これは入れないとゲームが成り立たないってものと、これだけは入れたいって思いがあるもの。

そういうものばかりを詰め込んだのが昔のゲームだったんなら、そりゃ面白いに決まってる。

何でもかんでも詰め込んだ今のゲームが面白くないとも別に思わないけど、何かを作るならこういう考え方は必要だよなとは思った。

制限は創造の母

同じニューラル回路を使ったのでは、同じ答えしか得られない。クリエイティブ的には、それは目指すところではない。そこで、私が得た方法が、脳を新しいところに向かわせるために、それまで始点にしたことがないところを始点にするというものだ
制限は障害ではなく有用な道具なのだ。制限を使うことで、より創造的になることができるのである。

上の教訓からの流れで、この教訓。

FFの音楽を作曲されてきた植松伸夫さんが同じような事を言ってますね、制限がある昔のハードの方がやりがいがあると。

これはブログ書いてるだけでもめっちゃ思うところあり。

人に「こういうこと書いてよ」って言われれば、詳しくなくても自分なりになんとかそれについて書こうとする。

けど特に何もなく、何でも自分の自由に書いていいとなると、なぜか逆に書くことが難しくなる。

こういうことを言うと、自由に過ごしていい休日に何をやっていいのかわからんと言ってるお父さんみたいで悲しくなるんだけど、でもまあ人間そういうことなんだろう。

まとめ

有用すぎワロタ。

下手なビジネス書を読むより有用なことばかりでした。

MTGを少しでもやってて、なんとなくルールを理解してると、この話はもっと自分のものになると思います。

加えて、本文には、ここに紹介したもの以外にも、有用な教訓がいくつも載っているので、ぜひ興味ある方は本文も読んで見て欲しいなと思います。

それでは!

引用させていただいた、「20の年、20の教訓」はこちら