【お遍路】1100㎞を歩いてわかった、自分なりの18の教訓

お遍路』をご存じだろうか?
四国八十八か所巡りとも呼ばれる修行の旅である。

字面でなんとなくご理解いただけるとは思うのだが、一応説明すると『四国に存在する八十八のお寺を自分の足で、自転車で、あるいはバイクや自動車を利用して巡る』のである。

僕は22歳のころにお遍路をした、それも徒歩で
その距離およそ1100㎞、時間にして40日程度。
それはそれは大変な旅だったのだが、8年ほど経った今になって思い返すと、非常に得るところの多い旅でもあった。

今日は歩き遍路の経験を思い出しながら綴り、この時の貴重な経験をムリヤリ自分なりの教訓にして書いていこうと思う。

※この記事は1万字を超えており、かなり長いです。お時間があるときにお読みください。

徳島県3日目が一番の難所

11番札所藤井寺と12番札所焼山寺の間は、通称遍路転がしと呼ばれるほどのキツイ道のり。
山道をおよそ14km、ほぼ1日中歩き続けるのだが、これほどまでにキツイ道は四国八十八か所の全1100kmの道のりの中でも他に類を見ない。

さらに逆うち(88番札所から1番札所を目指す、逆にさかのぼって歩くこと)じゃない限り、この道に入るのは大体3日目くらい。
終盤になれば体もそれなりに順応して歩くということに慣れた体も出来上がってくるのだが、体も出来上がっていない最序盤の3日目にこんなキツイ道が立ち塞がるのである。

僕は3日目を終えて宿についたとき、『もうゴールでいいんじゃないか?』と真剣に遍路を終えることを考えたほどである。
焼山寺近くの宿のご主人に話を伺うと、ほんとにここで遍路をやめる人は多いらしい。
キツ過ぎて八十八か所すべてをまわる自信がなくなるのだとか、気持ちはわかる
僕もこれ無理じゃないか?って思ったもんな。

が、3日目以降はそれなりにキツイ道があったとしても「まあでも3日目の方がもっとキツかったな・・・」と思えるようになり、心に余裕のある状態が生まれたのは確かである。
なので、もしお遍路やってみようかなと思っている人がいたら、この3日目以上にキツイのは基本存在しないということを覚えておいて欲しい。

この経験から『序盤の色々と整っていないタイミングが一番大変である』ということを学んだ。

足の爪が剥がれ始める

上に書いた3日目、疲れ切って宿にたどり着いて靴を脱いだ瞬間、右足の小指の爪が剥がれた
自分でもキツいと思っていたが、自分の体もかなり疲れを感じていた模様。

人にこの話をすると「聞いてるだけで足が痛くなってくる」ってよく言われるんだけど、剥がれる瞬間は全然痛くない。
感覚的に言うと『かさぶた』がとれる感覚に近いと思う、気づかないうちに「あれ?とれた?」みたいな。

ちなみに僕は八十八か所を回りきった時には左足の爪すべてと、右足の中指以外すべての爪が剥がれていた。
お遍路をやるということは、そのくらい足に負担があるんだということはお伝えしたい。

あと爪が剥がれたからと言って歩きにくくなるとか、感覚がいつもと違うとかってことはないんだけど、それでも足を守るためにテーピングくらいはしておいた方がいいと思う。

これに関して特に学んだことはないんだけど『他の人が大変だなと思うことと、自分が大変だなと思うことに差がある』ということは感じた。

道端で寝始める

『道端で寝る』と書くとちょっと語弊がある、正確に言うならば『道端の邪魔にならなさそうなところにテントを張って、そこで寝始める』である。
「いったい何が違うんだ?」と思った方、すまない、僕も書いてて『何が違うんだろう』と思った。

と言っても、こんなことをしたのは序盤の1週間くらいのもんだったけど。

なんで道端で寝るなんてことをする羽目になったのか?

まず歩くことに限らず何でもそうだと思うんだけど、何かをやり始めた初期段階の頃ってペースが掴めずにやりすぎてしまったり、やらなさすぎだったりすることがあるじゃないですか?

この『道端で寝る』もまさにそれで、『自分が1日にどれくらい歩けるのか?』『いつくらいまでに次の日、さらにその次の日の宿の予約をしておかなければならないのか?』みたいな、旅をするのに大切な初歩的なこともわかっていなかったのである。

その結果、宿をとることができなかったり、きちんとテントを張っても大丈夫な場所までたどり着くことができず、もう疲れたしここで寝るかみたいな思考停止に陥ってしまったのである。

この道端で寝る行為を4回ほどやってしまったが、お遍路さんだろうと慣れているのか、邪魔にならないしどうでもいいと思われたのか、警察や近隣住民の方に移動を命じられることはなかった。

この経験から『ほんとに疲れていたら最低限の装備さえあればどこでも寝られる』ということ、『最初の内はペースがおかしいこともある、やっていけばだんだんわかってくる』ということを知った。

徳島が終わった時点でもういいんじゃないかと思い始める

この徳島を終わった時が、僕にとって最後の挫折ポイント。
本気で『もうゴールでもいいんじゃないか』と思ったのはここ。

なんでかというと徳島を抜けて高知に向かう際、台風かと思うほどの豪雨、強風に見舞われたのである。
しかも当時は道中にコンビニも見当たらず、空腹で気力も失っていた。

途中で見つけた雨がしのげる建物も汚い虫がいっぱいいるようなトイレで、さすがに寝る気になれないような場所。(それでも10分くらいはそこで寝るか本気で迷った)

あと1時間くらいで着く地域に何軒か宿があったので片っ端かた電話をかけまくり、どうにか宿をとってたどり着いたのが歩き始めて13時間後の夜20時前
こんなの今日だけだと思っていても、そりゃ心も折れそうになる。

この経験から、

『何かをやっていると本気でくじけそうになる時があるが、そういうのは大抵一瞬の出来事である。対処できそうなら、どうにか切り抜ける術を考えておく』


『カロリーメイトとポカリスエットの予備は常備しておく』

ということを学んだ。

高知は辛くはない、だるいだけ

『辛い』と『だるい』は違うということを明確に意識した場所。
お遍路をやったことがある人に高知の感想を聞くと辛いって言う人が割と多いんだけど、僕は全く辛くなかった、ただ『だるかった』のである。

僕にとっての辛いは上に書いたような強風や豪雨に見舞われたり、山道を延々と歩き続けたりとそんな場所が辛いのである。

高知は基本的に水平線が見える道を歩き続ける。

景色の変化が非常に緩やかで、道も平坦なために『毎日歩いて前進しているはずなんだけども、まったく進んでいる気にならない』という場所なのである。
そのためか、終わりが見えないのがキツイという人にとっては辛いのは間違いないと思うのだが、僕はそういったことでは辛くならないので割と平気だった。

ただし、だるい。
かわり映えもせず、お店やちょっと寄り道して見られる観光名所のようなものも少ないため、やれることも特に少ない。
言うなれば『やらなきゃいけないことはわかっているけど、やりたくない仕事をやっている』ようなもんである。

八十八か所をめぐる際、四国4県は徳島が『発心の道場』、愛媛が『菩提の道場』、香川が『涅槃の道場』、そして高知が『修行の道場』と表現されることがあるのだが、「昔の人はうまいこと言うなあ、その通りだわ」と肌でヒシヒシと感じられた。

ここからの経験はズバリ『辛いとだるいは同じようで違うもの』である

友人や家族への電話が何よりの娯楽

先日の記事にも書いたのだが、僕が八十八か所を巡ったのは8年前の2010年の秋。

今では一般的なスマホがようやく世間一般に浸透し始めたころで、僕もこの年の終わりに買い換えたのだが、お遍路をしていたときは、まだガラケーを使用していた。

そのため、今では当たり前なスマホによる娯楽(例えばSNS、読書、ゲーム、動画視聴など)が一切存在せず、宿についてから僕がやれることと言えば日記を書く、テレビを見る、話をする、そして電話くらいなものだった。

日記を書くのはせいぜい30分もあれば書き終えられるし、宿の人と話をするにも相手にも都合というものがあるため長々とは話せない。
テレビも地方ゆえにすべてのチャンネルが入らないので、常に自分が面白いなと思える番組には出会えない。(入っても出会えない可能性も高いのに)

そうすると僕に残された選択肢は1つで、友人や家族と電話することになるのである。

僕は普段は思いっきり喋る方でもないのだが、このときばかりは延々と毎日2時間くらい喋り続けていた、付き合いたての彼女かな?
当時僕のくだらない電話に付き合ってくれた友人や家族には本当に感謝している、電話ができなければおそらく完走できていなかっただろう。

『人に励まされると頑張れる』なんてこの時までは鼻で笑って否定してたくらい捻くれた性格だったが、この時の経験で1%くらいはそういうこともあるのだなと変わったと思う。

教育Eテレ『天才テレビ君』が異常なまでに面白い

これも先日の記事にも書いたが、天才テレビ君が異常なまでに面白く感じたのである。

なぜかと聞かれても説明できないし、いまでは何一つ当時のコーナーやら出演者を思い出せないのだが、当時の僕は天才テレビ君を見るために並々ならぬ情熱を傾けていたのである。

その入れ込みようはなかなかのもので、月曜日がお気に入りだったことだけは明確に思い返すことができるのだが、月曜日は天才テレビ君を見るために絶対に17時までには宿に着くように計画を立てていたほどだ。

「17時までしかお寺は空いてないんだし、だったら17時までに宿に着こうとするのは不合理じゃないよね」などと自分自身に言い訳を並べていたのだが、このとき完全に目的がお寺に着くことから天才テレビ君を見ることにすり替わっていた。

おバカな話だと笑われると思うのだが、何か目的があると足取りが軽くなるというのはあるもので『もう少し頑張ればご飯が食べられるんだー!』でもいいし、僕のようにテレビを見るでもいいのだが、『自分なりの報酬を用意しておくと日々の生活が楽しくなる』ということは学ぶことができたと思っている。(初心は忘るべからずだが)

出会う人々の好意がただただ嬉しい

お遍路をしていると言っても、道行く人々にしてみたら僕はただの他人なわけである。

普段友人や家族からでも好意をしっかりと感じられる言動はそんなに多くないというのに、たった今出会ったばかりの見ず知らずの僕に何か差し入れをくれたり、励ましの言葉をくれたりなんて奇跡としか思えないくらいありえないこと。

また歩いていても田舎ゆえ、やはりそんなには人と出会わないし話す機会も多くないため、ほんの少し会話を交わしてくれるだけでもその日のやる気が上がったりするのである。

もし四国在住の方で、『よくお遍路さんを見かける』という人がいましたら、ぜひ話しかけて欲しいと思います。
遍路をしている人間は、それだけでその後1時間くらいはポジティブな気持ちで歩けるようになります。

ここから得た教訓は、『人の優しさや真心は本当に嬉しくなれる何よりの差し入れ』である(よし!めっちゃいいこと言った!これで好感度うなぎのぼりやな!!)

どこから来たんですか?→東京からです!と嘘をつく

意味もなく、どうでもいいところで見栄を張っていたわけではない、嘘をついていたのにも一応理由がある。

というのも、お遍路をしていて話しかけてきてくれたほとんどの人の最初の質問が『どこから来られたんですか?』なのである。

ここで例えば「いや、実は香川からなんですよ~」などと言おうものなら「ああ、そうなんや~・・・」となり「近場やんけ、つまらんなー」という相手の落胆をヒシヒシと感じるわ、会話は膨らまないわと踏んだり蹴ったりなのである。

しかしこれが「いや、実は東京からなんですよ~」となると「へえ~!それは遠いところからわざわざ大変やね~!」と興奮気味になり、明らかに絡んでくれる時間も長くなるわ、親切にいろんな情報を教えて貰えるわと良いこと尽くめなのである。

「それはあんたの偏見ちゃうの?」と思われるかもしれないが、これは偏見でもなんでもなく、両方の対応を何度かやってみての体験談なので間違いない。

まあだからと言って別にちやほやされたいわけではないのだが、何度も言うようにお遍路中は会話をすることが極端に少ないため、喋りたい欲が高まっていることが多い。

今ならSNSで「読経なう」とでも言えば誰かしら反応してくれるのだろうが、当時の僕はお手軽に人と喋るツールを使用していなかったこともあって、喋りたいなと思った時はよく『東京からです』と嘘をついていたのである(当時は一応東京のとある大学に通っていたので、完全に嘘というわけでもないのだが)

ここから『相手に興味を持って欲しいなら、まず相手の興味がありそうなことを伝えるのが大事』というのはわかった。

高知が終わるあたりでキャンプは無理だと思い始める

僕が遍路をしていたのが10月中旬から12月の頭までであり、高知も終盤に差し掛かろうかという頃は11月中旬あたりであった。

これは鮮明に覚えているのだが、当時歩いていた場所はわりと標高が高く、11月の中旬でも下手をすると雪が降ろうかという場所であった。

その日「いつも通りキャンプでいいか」とタカをくくって歩き始めたのだが、歩いている内に明らかに昨日までより気温が下がっているのを肌で感じられるのである。

で、確かめてみたら、次の日の最低気温は氷点下になろうかという寒さ。
こんな中でキャンプなんてしてたら確実に風邪どころじゃすまない。

加えてキャンプ道具、服、非常食など、すべて合わせると重さ20kg越えという、トップアスリートが体づくりでもしているのか?と言わんばかりの重すぎる荷物が日に日に負担をかけていたため、足も限界にきていたのである。

正直資金の観点からキャンプをやめたくはなかったのだが、これ以上キャンプすると本気で命がまずいのでは?と思ったため、泣く泣く家にキャンプ道具を送り返すこととなった。

ちなみに、このあとの僕の足取りの軽さと言ったら凄かった
荷物が10kg以上も軽くなったんだから当然っちゃ当然なんだが、それにしたって負担が違い過ぎたのである。

「歩いているのにスキップしてるんじゃないか」とか、「今ならこのまま飛べるんじゃないか」とか思うくらいには身軽になったと感じたもんな。

これに関してはほんとに教訓なんてないが、しいて言うなら『無理はいかん』

愛媛県、煩悩まみれの宿に泊まる

画像くらいは煩悩を感じさせないものにしようとする図。

愛媛県の県庁所在地、松山市にも八十八か所のお寺は存在する。
ご存知の方も多い方と思うが、松山市と言えば夏目漱石の「坊ちゃん」にも登場する有名な道後温泉がある。

僕が八十八か所を巡っていて感じたのは、とにかく湯船に浸かるのが大切だということ。

湯船でしっかり体を温められるか否かで、次の日の足の疲れ具合が全然変わってくるのである。

そのためキャンプをしていた頃も、宿はとれずとも銭湯や温泉には絶対に入るようにしていた。

で、話は松山市のお寺に参った時の話に戻ってくるのだが、例えちょっと歩き終えるには早い時間(15時頃)であったとしても、僕が道後温泉に入ろうとしたのは当然だとわかっていただけるだろう。

ただ道後付近は温泉街、さらには近くに松山城や坊ちゃん列車なども存在する観光地ということもあって、基本的に旅館などの値段も高め(それまで泊まっていたお遍路さんのための宿に比べれば)であり、おいそれと泊まることもできない。

じゃあどうするかというと、安定感抜群、信頼と実績のビジネスホテルに泊まろうと相成ったわけだが、このホテルは立地に問題があった。

道後温泉のもう1つの顔として、風俗街がある。

基本的に一般的な観光をしていれば絶対目にしないような場所にあるので別に気にすることもないのだが、何の因果か、僕の泊まろうとしたビジネスホテルがその風俗街のど真ん中にあったのである。

この時すでに僕は20歳を超えていたから、そういう場所に行っても白い目で見られる程度で終わりで特に問題があるわけでもないとは思うのだが、いかんせんこの時の僕の格好は白いお遍路着に片手には杖

別にこちらは何一つ恥じることはなく、ただただ自分の今日の宿が風俗街にあるから向かっているのに、世間から見たら何ひとつ悟らずに遊びまわる破戒僧でしかないわけである。

誰の目から見てもお遍路をしているとわかる格好でそういう場所を通り過ぎていかなければならなかったため、非常に肩身が狭い思いであった。

もし托鉢でもしようものなら「お前は貰った金をどこに使って悟りを開こうとしてるんだ」というツッコみが来ること請け合いである。

まるでお忍びで付き合っている芸能人カップルが変装してこっそりと裏口からホテルに入るかの如く、こっそりとホテルに戻らなければいけないのは非常に面倒であった。

ただの失敗談でしかないのだが、無理矢理にでもいい話っぽくするなら『何かをするときに、やはり世間体というのはついて回る。信頼を得たいのなら、多少は不利益を被ってでもちゃんとしておかないとダメ』だろうか。

道の駅で売られているみかんが安すぎる

11月以降、もし愛媛に行くことがあれば、ぜひ道の駅に立ち寄っていただきたい。
東京では400円とか500円くらいで売られていそうなみかんの袋詰めがなんと100円という格安の値段で売られているのである。

僕はみかんが大好きだ。

香川の西の方で育ったことも関係しているのかもしれないが、昔から大量のみかんを頂き物で貰うことが多かったこともあり、隙あらば食べるくらいの勢いでみかんを食べていた。
大学生のころは3日で段ボールいっぱいのみかんを食べ切ったほどである。
今ではさすがに落ち着いたこともあり、そんなフードファイターみたいな食べ方はやらないが、それでもみかんは非常に好物である。

それゆえ僕が大量の格安みかんを見たときの感動たるや、これはなかなか一言では言い表せない。
お遍路でカロリーを消費するからというのもあるのだが、とりあえず1袋(10個以上入っている)買ってあまりのおいしさに1時間ですべて平らげ、次の日にもう1袋買いに行ったくらいである。

で、何がいいたのかというと愛媛のみかんは世界一(SEX MACHINEGUNS)

休憩所に置かれているみかんのありがたさ

またみかんで申し訳ないが、お遍路道には東屋のように休憩所がところどころに設けられている。

こういった東屋の中でさらに低確率で近隣住民の方のご厚意でお茶請けのお菓子が置かれていることもあり、お遍路をしている人間からすると体力的にも精神的にも心温まるひとときなのである。

そしてこういった東屋はもちろん愛媛県でも存在するのだが、さすがは愛媛県、そこに結構な割合でみかんが置かれているのである。

先ほどのエピソードを踏まえれば、この東屋を発見したとき僕がいかに元気になったかは想像しやすいと思う。
本当は10分前に道端で休憩したばかりなのに、思わず「もう一回休憩しとくか」と座り込んでしまったくらいには心揺れ動く出来事である。

お金を払っても100円で大量に買えるんだから、みかんの1つや2つがそこまでのことか?と思われるかもしれないが、こういう旅をすると完全なご好意で頂いたものはとても身に染みるのである。

で、何が言いたいかというと『愛媛のみかんはせk(以下略)

香川に入ったら、あとはノリで頑張れる

香川はノリである、意味が分からないと思うので順番に説明していこう。

徳島は始まったばかりで終わりを意識するどころか、まずは次から次へと起こりまくる予想外のハプニングへの対処に追われ、とにかく喰らいついていくのに必死な毎日。

高知はある程度慣れてきたころだが、今度は今度で変わり映えしないような日々をいかに乗り切って楽しいことを見つけるか、自分のやり方を確立していく頃。

愛媛に入ればだいぶ自信がついてきて、全てにおいてそれなりに余裕を見出せるようになる。

では香川は?

ここまでの集大成で終わりが見えるころであり、『どんなキツい道でもここまでやってこれたからあと少しくらいどうとでもなるだろう、というかむしろこれが楽しいんだよな』というランナーズハイのような感覚になってくるのである。

といっても香川県が楽勝だというわけではなく、体力的には実は難所が1番多い県だと思っている。
3日目の焼山寺ほどではないが、毎日のようにキツイ道にぶち当たるのだ。

それでも香川県が気持ち的に楽だったのは、絶対ゴールが見えていたからだと思う。
「確かに今日も凄く疲れたけど、言うてもうあと4,5日で終わるしな」と思うと気持ちの整理がついたのだ。

ここから『ゴールが見えている』というのはやる気につながるんだなということを学んだ。

仕事でも『どんなに頑張っても後8時間ここで仕事しないといけない』だとうんざりしてくるが、『とにかく頑張ってこれさえ終われば早く帰っていい』だと頑張ろうという気になってくるものな。

感動や達成感ではなく、やり終えたはずなのに現実感の無さ

「八十八か所を終えてどうだった?」と友人から聞かれることが多かったのだが、僕の場合は達成感は皆無だった。

「え?終わったか?」くらいの気持ちで、簡単に言うと現実離れした感じだった

どう考えてもそれまでの生活の方が現実離れしていたのだが、毎日のように行っていた習慣をいきなりやらなくなると不安になるのと同じと思って頂ければ想像しやすいかと思う。

大学受験をしたことがある人なら「毎日受験勉強していたのに、大学に合格した瞬間に勉強をしなくても良くなったけど、ほんとにやんなくていいのかな?」と思ったことはないだろうか。
あれと同じである。

「辛かったなあ」とか、「頑張ったなあ」とかって感情も一切なく、ほんとにただただ「終わったか」くらいにしか思わなかった。

人間できないことができるようになり、そしてそれで何か目標を成し遂げたときに達成感を得る。

多分だけど、僕にとって『遍路をやりきる』というのはできて当然の話だったんだと思う、だから達成感とかなかったのだ。
徳島を出るくらいまでは本当にできるのかな?と思うこともあったが、そのあとはまあなんとかなるな、くらいにしか思っていなかったし。

『達成感を感じたいのなら、今の自分では全然できないようなことを目標にし、その実現に向けて頑張るしかない』ということはわかった。

もう一度はやらない


「お遍路をやった人は、お遍路をもう一度やりたくなる人が多いんです」という話をよく聞いた。

確かに『人とのあたたかいふれあい』『現代人が忘れがちな景色を楽しみながらゆっくり歩く』など、普段の生活では絶対できないような体験をしてしまうと「もう一度・・・!」という気持ちになる人がいるのもわからなくもない。

が、それでも僕はもう一回はやらないだろう。

それは『もう一回やっても大体勝手がわかってしまっている』から。

僕はやり方がわからないものをある程度できるようになる過程が好きなので、やり方がわかっているものを何度もやらされるのは好きじゃないのである。
趣味のアナログゲームも、最適解が何かをわかるまでが面白いと思っているし、気に入っているところである。

やらないだろうけど、もし仮にもう一度やるとしたら、ゲームの縛りのプレイのごとく、加えてなんらかしらの条件をつけるだろう。
例えばヒッチハイク、自分の力を一切使わずに八十八か所を巡ったらどんなご利益があるのか、みたいな企画にしてみるとか。

得た教訓は『わからないモノを分かるようになる瞬間が楽しい』『自分自身の特性を理解するのにお遍路は非常に有用』である。

得た教訓まとめ

長々と語ってきたが、つまり僕がお遍路をすることで得た教訓は次の通り。

  • 序盤の色々と整っていないタイミングが一番大変である
  • 他の人が大変だなと思うことと、自分が大変だなと思うことに結構差がある
  • ほんとに疲れていたら最低限の装備さえあればどこでも寝られる
  • 最初の内はペースがおかしいこともある、やっていけばだんだんわかってくる
  • 何かをやっていると本気でくじけそうになる時があるが、そういうのは大抵一瞬の出来事である。対処できそうなら、どうにか切り抜ける術を考えておく
  • カロリーメイトとポカリスエットの予備は常備しておく
  • 辛いとだるいは同じようで違うもの
  • 人に励まされると頑張れる
  • 自分なりの報酬を用意しておくと日々の生活が楽しくなる
  • 人の優しさや真心は本当に嬉しくなれる何よりの差し入れ
  • 相手に興味を持って欲しいなら、まず相手の興味がありそうなことを伝えるのが大事
  • 無理はいかん
  • 何かをするときに、やはり世間体というのはついて回る。信頼を得たいのなら、多少は不利益を被ってでもちゃんとしておかないとダメ
  • 愛媛のみかんは世界一
  • ゴールが見えている、というのはやる気につながる
  • 達成感を感じたいのなら、今の自分では全然できないようなことを目標にし、それの実現に向けて頑張るしかない
  • わからないモノを分かるようになる瞬間が楽しい
  • 自分自身の特性を理解するのにお遍路は非常に有用

以上である。
特に大事なことは赤字にしておいた、これを読んでくれた皆様の今後の人生に大いに役立つだろうと思う。

最後に、これを読んでいただいた皆様へ。

面白かったかどうかで言うなら間違いなく面白かったです、これは間違いありません。
当時の僕は鬱病気味で何に対してもふさぎがちになっていましたが、このお遍路をやっていく中で心から笑えるようになりました。

この記事を読んでくれた人の中で、もし仕事が死ぬほど辛くて心の底からやめたいと思っている人や、ほんとに嫌なことがあって生きるのに疲れた人は、一度全てを投げ出してお遍路を経験してみるといいと思います

もちろん簡単にできることではないとわかっていますが、それでもあえてお勧めします。
やってみる価値は絶対にあります。

『こんな優しい人がまだ世の中にいるなんて』とか『辛い辛いと思っていたけど、それ以上に辛いことが世の中にあるなんて』とか、日常生活ではとても経験できないことが盛りだくさんです。

ぜひ一度お遍路に出て、自分自身を見つめなおす旅をなさってみてはいかがでしょうか。

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